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B i o g r a p h y

【幼少編】誕生~小学生の部

 

 

1983年 神奈川県 大きな森林公園のある治安の悪い地に生をうける。

 

家の中では太陽の当たるポカポカした場所を好み、太陽に手をかざし閉じた指と指の隙間が赤く染まっているのを見るのが好きな、少し変わった子供だった。

幼少時代は音楽よりも風景や物をスケッチしたり、紙粘土で自分の手をまねて作ってみたりと、どちらかと言えば美術の方に興味が強かったが、それよりも何よりも昆虫が大好きで将来はムシ博士になると本気で思い込んでいた。

(今は昆虫が死ぬほど苦手)

 

小学校1年生の頃だったか突然母親がピアノを習ってみないかと話を持ちかけてきた。

僕は将来ムシ博士になるし、女の子ばっかりの習い事なんて嫌だと言ったが、数週間後になぜかピアノが我が家にやってきた。

(後から聞いてわかったことだが、本当は母親がやりたかったらしい)

家にピアノが来ても特に興味もわかず、灯油販売のトラックが流しているメロディなんかを真似て弾いたりしている程度だった。

むしろ音楽は嫌いだった。音楽の授業でテストの時みんなの前で一人ずつ歌わされていたから。

音楽なんてこの世からなくなればいいとさえ思っていたくらいだった。

 

小学校3年生になってクラス替えで担任が変わり、音楽の授業も担任がやるのではなく、ちゃんと音楽の先生に変わり、音楽のテストも楽器(主にリコーダー)になったり、歌のテストも当然あったがクラスの皆の前ではなく別室で先生の前だけでやればよかったので、段々と音楽の授業が楽しくなってきた。

 

3年生のある日、今日は音楽鑑賞をしますと言って先生がクラシックのレーザーディスク(?)を備品室から取り出した後、ブラウン管から映像が流れてきた。

 

大きな礼拝堂とパイプオルガン 

 

忘れもしない J.S.バッハ「トッカータとフーガ 二短調」だ。

 

クラスメイト(特に男子)は鼻から牛乳だのヘラヘラ笑っていたが、僕は今までに味わったことのない感覚に一人震えていた。なんだこれは・・・全身鳥肌が立って、ゾクゾクする。

わけもわからず我も忘れてただ茫然と映像を観ていた。映像が終わって先生に言われて気付いた。

 

涙が出ている。ついでに鼻水も垂れている。

 

クラスメイトの皆にからかわれたがこっちはそれどころではない。

 

先生これ、なんですか・・・?(涙声)

 

漠然としすぎた質問と目の前の生徒の様子に先生も困惑しているようだ。

 

先生「とにかく鼻水をどうにかしなさい」

 

こっちはなぜ自分がこんなになったのかが知りたい。

トッカータとフーガのフレーズなんて僕だって知っていたし、鼻から牛乳と言ってふざけたりもしていた。

でも実際パイプオルガンで人が弾いているのは初めて観た。

 

先生が黒板を背に説明を始める。

それはもうワクワクがとまらないわけで、夢中で先生の話を聞いていた。

 

あっという間に授業が終わり、号令のあと先生の所へ行き「こういうのもっともっといっぱい知りたい」と言ったら、放課後また音楽室に来なさいという。放課後が待ち遠しかった。

しかしそういう日に限って帰りの会が長い。

 

放課後

音楽室に走っていった。途中知らない先生に廊下を走るな!と怒られたが無視した。それどころではない。

 

音楽室は小学校の4階の一番はじ。音楽室が近付くとピアノの音が聞こえてきた。

音楽室に着くとそこには6年生の女子生徒と先生がピアノで何やらレッスンみたいなことをしていた。

 

先生「ちょっとまっててね」

 

僕「あっ、うん」

 

先生「はい でしょ」

 

僕「はい」

 

30分くらいだろうか、先生が女子生徒の弾くピアノにあーでもないこーでもない言っていた。

これがピアノレッスンなのか。

 

先生「じゃぁ、頑張ってね」

 

女子生徒「ハイ・・あぁ~緊張するぅ~」

 

先生「楽しんでおいで」

 

後から聞くとその女子生徒はコンクールにでるとかどうとか。

自分のピアノの先生が言っていることが難しすぎてよくわからないからと、その先生に聞いていたらしい。

 

そして先生が「さて」と言ってピアノ椅子に腰かけ一息つくと、とある曲を弾いてくれた。

 

J.S.バッハ 「イタリア協奏曲第1楽章」

 

僕はピアノに近づき夢中で先生の弾くピアノを聴いていた。

ピアノの生演奏なんて初めてだし、よくもまぁこんなにうにゃうにゃと指が動くものだ。

演奏している先生が凄く素敵に見えた。

 

子供ながら将来は絶対ピアノが弾ける女性と結婚するぞなんて思った。(単純なのは今も一緒)

 

 

演奏が終わると先生は言った。

 

先生「バッハはね、なぜかみんなに嫌われちゃうの。先生は大好きなんだけど。あなたはこういう音楽すき?」

 

僕「えっと、、いや、、わかりません」

 

先生「さっきあなたが泣いてびっくりした。こんな生徒初めてだったから」

 

僕「僕もびっくりしました」

 

先生「音楽の授業、好き?」

 

僕「きらいです。いや、でも、もうすきかも」

 

先生「そう。先生も、きらいだったな」

 

僕「えっ・・?」

 

先生「ピアノの練習ばかりでお友達ともあんまり遊ばせてもらえなかったし」

 

僕「・・・そうなんですか」

 

先生「でも今はピアノ大好きだし、音楽も大好き」

 

僕「はぁ」

 

先生「あなたはきっとカンジュセーが強いのね」

 

その時は何を言っているのかよくわからなかった。

 

 

その後、先ほどの授業で流した曲、ピアノで弾いてくれた曲の曲名を教えてくれたので、すぐに家に帰って母に相談した。

 

 

僕「お母さん」

 

母「なに?今日はアジの開きよ」

 

僕「えぇ~・・・じゃなくてさ」

 

母「ん?」

 

僕「欲しいものがあるんだけど、貯金・・」

 

母「だめ」

 

僕「なんで~・・」←子供がよく言うセリフ

 

母「何が欲しいの?」

 

僕「今日授業で聴いた音楽のCD・・バッハっていう昔の人の・・」

 

母「・・・!?」

 

母「支度しなさい。○○レコード行くわよ」

 

 

プリントの隅に書いた曲名を母が他のメモ帳に書き写し、それを持って母と自転車でCD屋さんに行く。

もうワクワクさん。

 

おじさん「あらどうも○○さん(母)、やあピサクくん、いらっしゃい」

 

母「実は今日、息子が音楽の授業で・・・(以下略」

 

おじさん「クラシックかぁ・・・かあちゃーん!」

 

 

奥からおばさん登場。

 

 

どうやらおばさんは大のクラシック好きらしく、ものの数秒で数枚持ってきてくれた。

 

おばさん「残念ながらこの2曲が一緒になってるCDはないんだよねぇ」

 

僕は迷わず授業で聴いたトッカータとフーガを選んだ。

 

おばさん「この人のがいいかもね」

 

僕「えっ?(何言ってんだこの人。バッハだって言ってるでしょ)」

 

おばさん「バッハの曲を○○って人が弾いてるのよ。弾いてる人が世界中にいっぱいいるから同じ曲でもいっぱい種類があるの」

 

そんなことも知らなかった。恥ずかしい。

 

学校で観た映像は白黒だったし、知ってる人は知ってると思うけど、グスタフ・レオンハルトがバロック時代のコスプレをして弾いてる映像だった。今思えば当然すぎて赤面してしまうが、バッハの時代に撮影できるものなんてあるはずもない。そんなことは小学生でもわかる。あー恥ずかしい。

 

おばさんが選んでくれたのはカール・リヒターの録音だった。大御所。

 

このCDを母が買ってくれた。

会計時、クラシックのCDなんて買ったことのない母が驚いていた。

 

1000円。

 

クラシックのCDは安いものも多い。

いいことだ。

 

それはもう大事に抱えて帰った。自転車片手運転で母に怒られたけど仕方ない。

母にお礼も言った。夕食のあと肩叩きもした。

 

帰宅してすぐ、一人暮らしをしている姉の部屋で一人で聴いた。

途中で魚の焼けるにおいがしてきて今晩はアジの開きだってことを思い出し気分が萎えたがそれ以上に素晴らしい。

 

これが、僕の人生初のクラシックCD。今も大事にしている。

 

後日、音楽の先生の所へ行き、CDを買ってもらったことを報告。

先生曰く、これからしばらくは音楽鑑賞をするとのこと。

 

もっといろんな曲が聴ける!

嬉しくてたまらなかった。

 

それからというもの、僕のクラシックに対する熱はさらに上がり、音楽鑑賞のシーズンが終わっても、先生がオススメの曲を教えてくれたりしてくれた。

 

(ちなみに僕が自分のお金で初めて買ったCDはヴィヴァルディの「四季」)

 

時代や作曲家によって曲の雰囲気が違うこと、楽器も違うこと、そのほかいろんなことを先生から教わった。

もちろん授業でも。

同時にピアノにも興味を持つようになって、近所のピアノ教室の前でウロウロしている事もあった。

でも、教室に通うのは何故か嫌だったので、音楽の先生のところに行って色々しつこいくらい聞いた。

先生は嫌な顔一つせず、少しずつ少しずつ、ピアノの弾き方を教えてくれた。

 

幸い家に鍵盤があったので、教わったことをすぐに家で試すことができた。

 

そうこうしているうちに悲しい知らせが舞い込んできた。

先生がこの小学校からいなくなる。

結婚して家庭に入るとかだったと思う。

5年生くらいの時だったかな。

 

ショックすぎてわんわん泣いた。

 

その後、先生はいつの間にかいなくなっていた。

悲しかった。なんだか知らないけど僕はピアノの前に座って先生のことを思い出しながら、ピアノを触ってた。

そうしたらなんだかふと、頭にメロディが浮かんだ。

本当にメロディだけ。

それに音を足してみる。

 

なんだこれ。

 

それっぽい。

 

先生は音符の書き方も教えてくれていたので、とりあえずメロディだけはメモできた。

ヘ音記号は数えていかないと読めないくらいだったので、苦労したけどなんとか頑張って書いた。

 

もうどんな曲だったか覚えていないけれど、20小節くらいの短い曲を書いた。

(その譜面は後の自宅の引っ越しで紛失)

 

新しい音楽の先生も赴任されたけれど、正直どんな先生だったか覚えていない。

 

その後も僕はピアノを弾くと言うよりも、作曲(というほど大げさなものではないが)をして遊ぶことが多くなった。

相変わらず知らない曲をもっと知りたい欲も治まらない。

このころはCD屋さんのおばさんが色々教えてくれていた。

 

 

ムシ博士はどこへやら。

 

 

気付けば小学校も卒業を目前にしている。

このころは心の成長期。中学生という難しい年ごろに突入。

そんな時期、その時々の心境などを音にすることが趣味みたいになっていてこれが後々、本格的に作曲を始めるきっかけとなる。

 

 

【幼少編】誕生~小学生の部 おわり

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